マナの通信簿

離婚したり過食嘔吐してたり無職だったり死にたくなったりするけど基本しあわせなんです

そういえば最近嫌いな人がいないなあと思ったら

なんかこの人とは合わない…
なんかこの人といたら疲れる…

そう思った人とは遠慮なく距離を置くことにしている。親しげにSNSでもリアルでも交流していた方であっても、その人とつながることを億劫に感じだしたら、自分が無理をする前に距離を置く。

具体的には相手からのLINEを既読してもすぐには返事を返さない、しばらく経ってから返事を返すも返事はスタンプだけ、返事を求めている内容でも、返さない時もあり。

全ては私のさじ加減。

相手にはっきり言わずに、こうした態度で察してくれよー、とやる、いわゆる自然消滅という文化がある日本は素敵だと思う。

あなたといたら疲れるから
あなたとは合わないから

  • わざわざ言葉にして相手に伝える必要なんてない、心の中でおもっているだけで十分。

全てを理解して欲しいなんて思わないし、理解されなくてもいいから、私は私を大切にする。

あんなによくしてやったのに!と怒る人は

見返りありきの人間関係だと思っているのだろうか。自分が相手に与えた分だけ相手からも自分に与えなければいけないと思っているのだろうか。

そんな悲しい考え方で生きて行くと辛いのは何より本人なのではないだろうか。

無償の愛なんていう概念は持ち合わせてないのだろうか。

そんなことを思う私は無償の愛を信じている。

生きてる意味とか私が存在している意味とか考えてしまう時は

それは暇なとき。人間暇なときはロクなことを考えないと言うけれどまさしくその通り。暇だから余計なことを考える。暇だからとりあえず何か食べる。口を動かしてみる。味わってみる。いっときの快楽だと分かっているのに。無駄に時間を消費していると頭の片隅で自分を責めながら。

ああ幸せだなあ、幸せ過ぎて胸がいっぱい、涙が出るよ、何かせずにはいられない衝動に駆られる、私に出来ることをさせて下さい

いつの間にか私のまわりには心優しい人ばかりいる。なんていうか、決して押し付けがましくない親切さ、自分に出来ることがあればと、控え目に差し出してくれる、そんな優しさを持った人がたくさんいる。

というかきっと、今まで出会ってきた人みんな、そうだったのかもしれない、みんな本当は心優しい人達だったのかもしれない、そう思う。

人は鏡だから。

過去に出会い、あんまりイイ関係に発展しなかった人、どちらかといえば距離を置いた付き合いだった人の、イイ部分、優しい部分を、私が、引き出せなかったのかもしれないな。

人は鏡だから。

自分がどういう人間か知れたければ、自分の周りにいる人達をみればすぐ分かるという。

なら、私は今、優しい人間になれているのかな、優しい部分を出せているのかな、だったら嬉しいなあ。

この世界は本当にすごくシンプルだ。

吐いた後のスッキリ感、自分には何でも出来る気になる万能感、全ては満たされていると胸がいっぱいになる充足感、それらを求めて指を出し入れする

食べて食べて食べて、お腹がはち切れそうになるまで食べまくってやっと吐く、納得するまで吐く、安心できるところまで、一番初めに食べたもの、これはお腹に収めても大丈夫だと認めたものが出てくるのを確認できるまで吐く

指を突っ込んで吐く、最初は人差し指とお兄さん指の二本を使って、口をなるべく大きく、ウェッてなるくらいまで、縦に横に大きく開いて、ベロの上に指を這わせて、喉ちんこに触らないくらいギリギリまで、喉ちんこを傷つけないように、あらかじめ爪は短く切っておくけど、指が口の中あちこち触らないように、真っ直ぐ、ベロの決まったレールの上を這わせて。

最初は、それだけで簡単にウェッて吐ける、でも、すぐに慣れてきて、逆流するまで時間がかかるようになる、そうしたら、少しずつ指を奥まで、入れていく、喉ちんこを触るくらいまで。

それでウェッ、ウェッて吐けるけど、またすぐに慣れてきて、時間がかかるようになる、でもその頃には、いまここで吐くことに集中しないと、吐くことに飽きてしまうのが分かってるから、早く吐いてしまいたくて、もう、口の中、喉、喉ちんこ、そのへんを傷つけることをも厭わなくなってる、もう、いいから早く、早く吐きたいから、吐けるように、刺激が欲しい、指を深く、出し入れする。

逆流してくる吐瀉物にまみれた指を、何度も出し入れする、口周りに垂れた吐瀉物を拭うこともせず、あたりに飛び散った吐瀉物にもかまわず、ひたすら、出せるまで出したいから、口を大きく開いて、指を、深く、出し入れする。

ボウルいっぱいになった、私がいま吐いたもの、湯気が立っている、吐瀉物、ゲロ。

目からは涙が流れている。
鼻からは液体が流れている。
指からはツンとした匂いがする。

鼻から流れている液体で鼻がムズムズするから、洗面所で手を洗って、ティッシュで鼻から出ているサラサラした液体を拭き取り、鏡の向こうで、涙を流しながら微笑んでいる私と、目が合う。

ボウルを持ってトイレへ向かう、こぼさないように慎重に持ち、運ぶ。トイレへ辿り着き、ボウルを片手で持ち、片手でドアを開け、便座を上げ、慎重に、ボウルを傾けて、便器の中へと、流し込む、周りに溢れないように、丁寧に、便器のふちに沿って、でも勢いよく、ザアッと、流し込む。

トイレさん、いつも有難うね

そうつぶやいて、大の方向にレバーを回す、ジャーっと勢いよく流れる水に、運ばれて行く、私の口から出た、吐瀉物。

それで、綺麗さっぱりなくなって、安心感、スッキリ感、そして、湧き出てくる、万能感に充足感、それらを求めてなのか、また、私は、吐くために、食べる、きっと。

自分てひとりじゃない、一つの身体にいっぱいいる、一つの魂にいっぱいいる、頭ん中自分だらけ

早く全部吐いてしまいたい、
そう思うのに一方では、

ココア美味しいなあ
もう一杯飲もうかなあ
あったまるよなあ
やっぱり飲もうかなあ

と、ココアを飲むか飲まないか逡巡してる自分がいて。それをまたどこかで見てる自分がいて。

多重人格ではない、いろんなところから自分を見てる自分がいて、その全ての自分はひとりで。

こうしてブログを書いてる自分、を、また見てる自分がいてる。

頭ん中、うるさくは、ない。

人間とは多種多様な生き物であるという話。